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ぬるオタな日々 by @chusingura

実家暮らし・・・を晴れて卒業。三十路独身のぬるオタの日々戯言

運動音痴の立場から言わせてくれ

「両方悪かったら何残る」 体力テスト低迷で橋下知事 」(共同通信

案の定、知事は体力テストについても市町村別の公表を求めるようだ。
それにしても、「冬でも半袖、半パンが原則」って・・・。
私のときも、冬は半パンだった(上は長袖)けど、体力上がったという実感なかったですw

ぶっちゃけ小中高通じて体育は大の苦手だった。体力測定はどれも平均を下回り、ビリに近かった。中学時代はソフトテニスをやっていたけど、それで走るのが速くなったわけでもなく、試合もろくに勝てず。以来、運動らしい運動はしていない。

でも、最近になって体を動かすことの楽しさを覚えてきた。一昨年の夏は久々にプールで泳いで気持ちよかった。去年の夏は、遠野を自転車で駆け回って楽しかった。とても充実した旅行だった。さすがに普段は運動しないけど、こうやって楽しみを覚えてくれば、これから徐々に運動の時間も増えてくるかもしれない。

要は今までろくに運動しなかったのは、体を動かすことの楽しさを知らなかったんだよね。
運動は苦痛でしかないと思ってたから。じゃあ、なんでそう思ってたのかと考えると、自分の体力のことをあれこれ言う奴がいたからだ。わかりやすくいえば、「結果」を求めてくるのだ。

いや、先生はそこまで求めていなかったと思う。むしろ求めてきたのは体力のある同級生や部活の先輩である。彼らからすれば、体力のない自分はどうしようもない奴と思っていただろう。だから、体力測定のときは、自分の記録をからかう奴がいたし、運動会のリレーやテニスの大会では「ちゃんと走れ」「ちゃんとやれ」と半ば脅された。で、抜かれたり、失敗したりして、負けようものならお決まりのフレーズが返ってくる。
「おまえのせいで負けた」と。かろうじて切り抜ければお咎めなしだが、「よくやった」とも言われない。むしろ「あれぐらいやって当然」と言わんばかりの雰囲気だった。結局、「結果」しか興味がないんだなと思った。


以下に体力テストの調査結果が公表されている。

平成20年度全国体力・運動能力、運動習慣等調査結果について:文部科学省

概要版51ページからの「運動・スポーツや体力等に関する意識」によれば、「運動が嫌い」「不得意」「体力に自信がない」という子ほど、体力合計点が低くなる傾向にあるという。
いや、正確に言えば、体力がないから、運動が嫌い。不得意で自信がないということだろう。

でも、自分は確かに体力ないけど、さっきも言ったように、体を動かすことに楽しさを覚えてきている。となると、本当は体力ないから運動嫌いは必ずしも結びつかないのではないか?

じゃあ、体力のない子がなぜ運動嫌いになってしまうのかといえば、やっぱり「結果」を求められる状況に今の現場がなってしまっているからだろう。それを作り出しているのは、先生かもしれないし、同級生や先輩かもしれない。体力のある子もない子も一律で同じ授業を受けさせようとする教育課程が原因かもしれない。ひょっとしたら、体力テストもその遠因かもしれない。とにかく、今の現場は「結果」が優先されてしまっている。


でも、運動やスポーツって本来何のためにあるんだろう?
自分の健康のためでもあるし、互いの交流を深めるためでもあったはずだ。オリンピックももともとは「参加することに意義」があったはずだ。それがいつの間にか、メダルの獲得競争になってしまった。もっとも、プロは「結果」が全てだから当然なんだろうけど、でも、小中高の教育を受ける子供たち全員がプロスポーツ選手になるわけではない。体力のある子供、プロを目指す子供はどんどんそっちの方向に進んだらいいと思うし、逆に体力のない子供には、自分でもできる、楽しめるスポーツと出会わせて、体を動かすことの楽しみを覚えさせるべきだと思う。そうすれば結果的に全体的な体力の向上につながると私は信じている。
あとは先生・子供たちがお互いの頑張りを認めあうこと。否定してしまったら元も子もない。

これって勉強についても同じことが言えると思うんだけどなあ。
かの知事はそこを踏まえたうえで改革を進めようとしているのだろうか?それがはっきりしないうちは、どうしても彼の考えを素直に受け入れることができない。


でも、その楽しさを覚えさせること自体が難しいんだろうなあ・・・。
これも理想論に過ぎないのかな?