ぬるオタな日々 by 少恒星

アラフォー独身のぬるオタの日々戯言。

大久野島探訪記(竹原巡礼二日目)

間を空けてしまったが、前回の竹原巡礼記の続き。

船が欠航という非常事態に遭ってしまい、やむなく二日目は忠海方面に向かった。 大久野島に渡る前に、ぽってたちがさよみ姉さんに連れられた黒滝山に登った。劇中同様、登山口まで登るだけでもしんどかった。しかし、そこからの眺めは絶景だった。

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眺めを十分に堪能したのち下山し、そこから船に乗り込み、大久野島に渡った。 大久野島に着くと、さっそく野生のウサギたちが、ひなたぼっこしたりえさを食べたりとのんびりと暮らす姿が見られる。私もそのかわいさに思わず写真を撮ってしまった。ウサギがここまで増えたのは、戦後ある地元の小学校が、飼育していた数羽のウサギを放したことが始まりで、天敵のいない環境ということもあって野生化し、今ではおよそ数百羽生息しているという。

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ウサギの楽園というだけでなく、ここ大久野島には海水浴場もあれば、キャンプ場もあり、テニスコートもあり、プールもあり、またレンタサイクルを借りてサイクリングができたりと、一つのレジャーアイランドとして今や多くの人が訪れて賑わっている。

しかし、そんな賑わいとは対照的に、毒ガス工場の爪跡が至る所で目につく。この島の光と影が常に隣り合わせで存在しているのがここ大久野島なのだ。 旧日本軍が毒ガスを製造していたという事実は、30年ほど前までほとんど知られていなかったという。昭和4年に毒ガス工場がこの島に建設された当時も、当時の島民はその事実を知らされることなく、むしろ島の産業発展のために歓迎ムードだったという。そしてこの島は地図からもその存在を抹消された。

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海水浴場のそばには、毒ガス工場に従事し、その後遺症に苦しみ亡くなった死没者の慰霊碑が建てられている。今もなお、その後遺症に苦しむ人は多い。

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これは国民休暇村のそばにある、毒ガスの貯蔵庫跡。中はすっかり壁が剥がれ落ち、色も長い年月を経たせいか変色している。ここ以外にも貯蔵庫はあったのだが、戦後に占領軍が埋め立てたり、入口をコンクリートで塞いだりしたこともあり、現在ちゃんとした形で残っているのは、ここと、最大の貯蔵庫であった長浦毒ガス貯蔵庫跡だ。壁にはツタが絡まり、自然と同化を始めようとしている気さえする。

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島には毒ガス工場だけでなく、もともと旧日本軍の要塞だったこともあり、砲台跡も北部・中部・南部の3つほど存在する。はっきりと砲台の杭が今も残っている。

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そして、工場跡の中でも、ひときわ圧倒されるのが発電所跡だ。毒ガス製造のための電力を供給するために作られたものだ。外壁は黒ずんでツタで覆われ、窓はすっかり割れており、もはや廃墟と化している。中の様子も見たかったが、残念ながら立ち入り禁止で入れなかった。

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戦争遺跡ばかり取り上げてしまったが、それを見て沈んだ気持ちになりそうなところを、瀬戸内海の風景や自由闊達に暮らすウサギたちが和ませてくれる。そんな暗い過去を背負って、この島の今があるということを深く痛感させられた。突発的なトラブルで急遽行くことになったとはいえ、やはり来てよかった。できれば、『たまゆら』二期ではここも出してほしいなあ、なんて思ったり。

ということで一泊二日の竹原巡礼は終了。二期放送されたら、今回大崎下島に行けなかったリベンジも兼ねてまた行こう。