この本は1970年に大阪で開催された日本万国博覧会の全容を、当時の関係者の証言やアンケートの回答なども交え、その舞台裏に至るまで克明に迫った一冊である。原恵一監督が『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』を制作していた際に参考文献として読んでいたといい、それを知って気にはなっていたが、ようやく読むことができた。元々は1998年に小学館より単行本として刊行されたが、その後2005年に筑摩書房より文庫化され、今回はその文庫版を入手した。
巻頭から大阪万博のパビリオンやグッズ、さらにホステスさんや万博に訪れた方の家族写真がカラーで収録され、当時の熱気にいきなり引き込まれる。しかし読み進めていくと「人類の進歩と調和」というテーマからはかけ離れた、その舞台裏が次々と明かされる。半年間で6400万人を超える入場者を集め、異常な活気に溢れていた一方、会期中は事件や事故も相次いだという。動く歩道で重軽傷者42人を出す将棋倒し事故があったり、太陽の塔の眼に男が立てこもる事件があったり、あまりの入場者の多さに終電に乗り遅れ、4000人近くが会場に取り残されたり、さらには過酷な労働環境と待遇の改善を訴え、労組が結成されストライキが相次いだり等々・・・。今だったら途中で中止されてもおかしくない出来事も多かったのだ。
本書で紹介されているエピソードはいずれも読み応えがあったが、中でも興味深かったのが、万博の外国人ホステスが見た日本人の印象についてだった。『オトナ帝国』でも描かれているとおり、当時は外国人が珍しく、サインをせがまれることがあったというが、外国人ホステスも例外ではなかった。しかし、アメリカ館のあるホステスは「日本人はスタンプとサインのために会場に来たとしか考えられない」「展示品にはほとんど無関心」「一人にサインすると、次から次へとサインを求められて十二時間は解放されない」などと不満を抱いたという。彼らからすれば、日本と自分の国とのパイプ役として、この万博にやってきたというのに、せっかく用意した展示品の知識も披露できず、連日サイン攻めに追われ、展示品と自分の国には無関心な日本人の様子を嘆いていた。今はさすがに在住外国人も増えて、サインをせがむことはないにしても、自分たち日本人は、本当に外国のことに関心を示し、外国人たちを本当に理解しているだろうか。そんな日本人の軽薄さは、すでに50年も前から見透かされていたのだ。
大阪万博から50年経った現在。万博で紹介された未来の技術は、携帯電話や動く歩道など一部実現・普及しているものはあるが、大きく進化しているとは言い難く、当時描かれていた未来像は、もはや絵空事となっている。それどころか、失われた20年とも30年とも言われる経済低迷、そして少子高齢化で日本の「未来」さえも危うい始末。著者の串間氏が募ったアンケートの中で、京都市在住の昭和35年生まれの方のある回答が胸に響く。
そのあと何が出てきても万博の時あったなあ、と思うものが多く、いまだにアノ域に達していないものもある。(中略)宇宙開発も二十一世紀だというのに、ステーションや月面基地くらいできてんといかん。一方、携帯電話の普及によるお下劣なマナーが問題になるような「見苦しい未来」は予想されていないから、あの一九七〇年に六ヶ月だけあった「すばらしい未来」は「到達できないからこそ美しいままである」のかもしれない。
(昭和35年生 京都市)
到達できないこそ美しい。だから、私たち(というよりは日本という国か?)は東京五輪や2025年大阪万博に、ありもしない未来を求めるのかも知れない・・・。