ぬるオタな日々 by 少恒星

アラフォー独身のぬるオタの日々戯言。

メディア芸術総合センターは「マンガ喫茶」なのか

国立メディア芸術総合センター」があちこちで「国立のマンガ喫茶」と批判を浴びているが、その呼び方には激しい違和感を覚える。というのも、マンガやアニメの博物館・美術館はすでに全国各地にあるわけで、広島市立まんが図書館や京都国際マンガミュージアムなど、自治体が設立・運営に関わっている施設はいくらでもある。その施設があったからこそ、作品・技術研究に大いに役立ったというのもあるだろうし、観光の目玉として地元の活性化に大いに貢献してくれたというのもあるだろう。それらの施設がどのような役割を果たしてきたのかを踏まえた上で、設立の是非を議論しないと、何も生まれないのではなかろうか。今頃、既存施設の職員・学芸員の人や、その施設を活用している利用者はとても肩身の狭い思いをしているに違いない。
文化庁のホームページにある「メディア芸術の国際的な拠点の整備について(「国立メディア芸術総合センター(仮称)」構想について)」や里中満智子氏の反論を読む限り、この施設はまんが図書館などといった単純なものではなく、どちらかというと、文化庁が毎年開催している「文化庁メディア芸術祭」の常設展示化に近いように思う。文化庁メディア芸術祭は、「アート部門」「エンターテイメント部門」「マンガ部門」「アニメーション部門」の4部門で大賞や優秀賞作品を選出し、毎年2月に国立新美術館(2006年度までは東京都写真美術館)で受賞作品及び審査委員会推薦作品の展示や上映、受賞者を招いてのシンポジウム・講演会が行なわれる。ちなみに入場は無料である。歴代の受賞作を見ると、人気作、ヒット作も確かに目立つが、商業的にヒットしているとは言い難い作品や、なかなか商業ベースには乗らない作品も多い。どちらかといえば、芸術性や技術性に優れているかどうかに重点を置いているようだ。
私は、2008年2月に行なわれた第11回文化庁メディア芸術祭に行ったことがある。最大の目当ては、アニメ部門の受賞者シンポジウムだったのだが、展示会場にももちろん足を運んだ。部門ごとに区切りらしきものはあったが、特にフロアごとに分けて展示しているのではなく、一つのフロアの中で複合的に展示を行なっていた。それもあって、他の部門の作品にも自然に興味がわき、実際に作品に触れたり鑑賞したりもした。そのとき鑑賞したアート部門の大賞受賞作『nijuman no borei』は、こういう機会でないとなかなか観られない。
ただ、多くの入場者の関心は、やはり人気の商業作品に向けられていたように思う。アニメ部門のシアター上映では、受賞作だけでなく審査委員会推薦作品も上映されていたため、推薦作品に選ばれてた『コードギアス 反逆のルルーシュ』や『もやしもん』、『FREEDOM』も観ることができたのだ。入場無料でたくさんのアニメが観られるとなれば、多くの人が足を運ぶのは当然だろう。「文化庁メディア芸術祭」が成功を収めているのは、むしろ展示・上映される商業作品の人気によるところが大きい。
それだと、結局、「国立のマンガ喫茶」になってしまうのだが、文化庁は、センターを作ることである効果を期待している。「メディア芸術の国際的な拠点の整備について(報告)(pdfファイル)」の「4.メディア芸術の国際的な拠点の整備の必要性、期待される効果等」の中で、次のように書かれている。

メディア芸術拠点において、メディア芸術のすべての分野の作品を常時展示することにより、メディアアートを見に来た人がマンガに感動したり、アニメを見に来た人がゲームに関心を持つようになるなど、来場者の興味・関心の幅が広がることが期待される。また、メディア芸術拠点に、メディア芸術のさまざまなクリエイターが集まることで、各分野が融合した新しい芸術の創造につながることも期待される。メディア芸術拠点の整備により、我が国のメディア芸術の創造の基盤が強化されることになる。

私が『nijuman no borei』に惹かれたのは、文化庁の狙い通りだったのだ。アニメ・マンガ・ゲーム・デジタルアートなどそれぞれの分野がコラボレートすることで、新たな芸術作品や文化が創造されることを文化庁は期待している。「メディア芸術総合センター」は、いまだに「娯楽」の一つと見られがちな、アニメ・マンガ・ゲームを一つの「芸術」として理解してもらおうという意図を持っている。その点を考えれば、「国立のマンガ喫茶」というのは少々的外れのように聞こえる。
問題なのは、何をもって「芸術」と見なすのかである。同じアニメでも、アカデミー賞を受賞した『つみきのいえ』なら、まだ「芸術」として評価されるだろうが、『コードギアス』に「芸術性」を見出すことはとても難しいだろう。それに、「芸術」と見なすかどうかなんて、人それぞれの感性によるものが大きい。今後、メディア芸術作品に助成金を出すようなことになれば、去年起こった、映画『靖国』の上映中止騒動のようなことが再び起こるかもしれない。アニメ・マンガ・ゲームを「芸術」として理解してもらうには、単純な作品の展示・上映というだけでは不十分だ。「演出論」や「技術論」などの面から作品を語り伝えていくことも必要だろう。
もう一つの問題は集客だ。「メディア芸術総合センター」が「文化庁メディア芸術祭」をベースにしているものとするなら、展示作品の選定によっては来場者数が大きく左右されるだろう。もし、人気作品を外していたら、あそこまでの集客はなかっただろう。そうなれば、やはりマンガ・アニメ図書館のような機能を持たざるをえない。やっぱり「マンガ喫茶」じゃないかという批判は避けられないだろう。
117億円という巨額の建設費用をかけることになった以上、アニメ・マンガ・ゲームを「芸術」として発信したければ、既存のアニメ・マンガ施設とはまた違う特色をもった、それなりのものを作るべきだ。