ぬるオタな日々 by 少恒星

アラフォー独身のぬるオタの日々戯言。

【ネタバレ有り】『シン・エヴァンゲリオン劇場版』を観た

新世紀エヴァンゲリオン』が放送された当時、僕は14歳。まさに碇シンジと同い年だった。あちこちでタイトルは耳にしていたと思うが、当時はアニメに強い関心はなく、結局リアルタイムでは観ていない。ちゃんと作品に触れたのは二十歳を過ぎてから。初めて観たとき、僕はシンジの置かれた立場や心情に、深い共感と同情を覚えた。内省的で自信が無く、自分の存在価値に思い悩む。これはまさに自分だと思った。中学時代はいろいろあって周囲から孤立し、学校には自分の居場所がないと感じていたその頃に、自分と同い年の少年が同じように悩み苦しみながら、エヴァに乗って戦うアニメがあったとは。中身は複雑かつ難解で、観た当時も、そして今もなお全てを理解しきれてはいない。

ただ、この作品の、というよりは庵野秀明の言いたいことはなんとなくわかる。それは自分の殻に閉じこもらず、現実の世界と向き合えと。世界はどんなに惨めで残酷なものだとしても、殻を破らねば何も変わらない。言いたいことはごくシンプルなように感じた。もしシンジと同じ歳の頃に、この作品に出会っていれば、その後の僕の生き方は、だいぶ変わっていたのではないかと思う。(それが良い方向か悪い方向かはわからないが。)

そのシンプルなメッセージは、新劇場版においても一貫していた。ただ、旧劇場版では、暴力的だったのに対し、『シン・エヴァ』は優しく語りかけるような印象を受けた。旧劇から四半世紀を経ての変化は、やはり庵野の心境の変化によるところが大きいだろうか。

個人的にもっとも大きく惹かれたのは、旧友のトウジ、ケンスケ、ヒカリらが暮らす「第3村」の生活だ。第3村の住民たちは、いつ破壊されるかも知れぬ環境ながらも、農作物を植えて食し、子を産み育てて、精一杯今を生きようと努める。アヤナミレイは彼らと営みを共にすることで、人間の生活や感情を少しずつ知っていく。当たり前のように交わす挨拶。当たり前のように汗水垂らしてまで行う仕事。当たり前のように取り合う手と手。ふだん僕らが気にしないような、当たり前の行為一つ一つの意味を、アヤナミはヒカリに問いかけ、ヒカリは丁寧に返していく。「"おはよう"は今日を生きるためのおまじない」「"さよなら"はまた会うためのおまじない」そのヒカリの答えに、僕もハッとさせられる。そうして人間の感情を知ったアヤナミは、「なんでみんな僕に優しいんだ!」と自棄になるシンジに語りかける。「みんな、碇くんが好きだから」と。人間の感情を肌で感じ取ったアヤナミが放った答えが、シンジを立ち直らせるきっかけとなった。

この第3村の一連の描写は、宮崎駿高畑勲の影響を受けているのは明白だろう。宮崎や高畑は、リアリティや生っぽさといった、いわゆる現実感のある表現を何よりも重要視していた。庵野も彼らを踏襲するかのように、例えば星空を実際に見に行かせたりするほどに、生身のある表現にこだわっている。 

庵野は、人間の"生"を実感しうる場所としての第3村を通じて、シンジ、あるいは僕らに、現実の世界で生きることの素晴らしさを伝えたかったのだろう。これこそ『シン・エヴァ』において庵野が最も描きたかった場面に違いない。

やがてシンジは、ゲンドウと対峙するが、そこでゲンドウの心の闇が、深く掘り下げられる。他者と関わることが苦手で、周囲に馴染めず孤立し「知識」と「ピアノ」だけが心の拠り所だったゲンドウ。そんな彼を受け入れたユイ。しかし彼女を失った悲しみから、彼は「人類補完計画」を実行に移そうとした。そうしてイマジナリーの世界に留まってしまったゲンドウに、リアルの世界で立ち直ったシンジが立ちふさがる。シンジを第3村に行かせたのは、まさにこの時のためだった。「虚構」に溺れてしまったゲンドウと、「現実」の世界を守ろうとするシンジ。この二つの対立構図が、父子の対話によって融合・調和していき、ラストは虚構(アニメ)の住民が行き交う、庵野の故郷・宇部市の実写空撮で締められる。庵野の理想とした「現実」と「虚構」の融合が、ここに結実した。これこそ真のエヴァンゲリオン=『シン・エヴァンゲリオン』だった。

TVシリーズから25年、あるいは新劇場版「序」から14年。その間、世間からは、どこか忌避される対象であったオタク文化が、今や日本を代表するメインカルチャーに発展したことは喜ばしいことだと思う。しかし一方で、僕は、最近のオタク文化の空気感に、どこか違和感を覚えていた。それは、漫画やアニメが、辛い現実から逃避するためだけの消費物になってしまっていないかということだ。

もちろん「現実逃避」そのものが決して悪いことでは無い。現実で疲れ切った身体や精神を癒やすために、時には現実から逃れることは必要だ。しかし、それに浸りすぎるあまりに、現実の世界をより良く生きることを拒んだり、諦めてしまっている嫌いが、僕のようなオタクたちにはあるように感じている。将来像が見えず、ただ閉塞感の漂う昨今の日本社会を見れば、みな逃避したくなるのも無理はない。

そうしてうすうすと感じていたところへ、庵野が同じような疑問を呈し、その答えとして『シン・エヴァ』を作ってみせた。現実逃避のためではなく、「現実」に反映させるものとしての「虚構」。それを堂々と示してくれたことが、僕にとっては嬉しかったし、救いになった。現実は辛いことだらけだが、少しでもいいから現実の世界でも頑張ってみよう。見終わったあと、久々にそんな気分になれた。

ありがとうエヴァンゲリオン
ありがとう庵野秀明

 

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