ぬるオタな日々 by 少恒星

アラフォー独身のぬるオタの日々戯言。

ドラえもん愛の無い自称ファンたち

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藤子ファンの一人としては注目しないわけにはいかない映画だが、この映画に渦巻くネット世論の嫌悪感に、少なからず共感できる部分があることは否定できない。映画は興行物でもある以上、客を呼び寄せるために様々な工夫や仕掛けを施すことは当然のことだが、それが作品の本質に沿わないものなら反発を招くのは無理からぬ話だろう。だが、そうした嫌悪感を抱いた者の中に、『ドラえもん』を本気で理解し愛している人間がどれくらいいるだろうか?

振り返れば前作の『STAND BY ME ドラえもん』(以下『SBMドラ』)が公開されたときもそうだった。ドラえもんの映画は毎年春休みに公開されているというのに、それまで『ドラえもん』の「ド」の字も口にしなかったような映画評論家やライターが、話題作だからということでレビューする場面があちこちで見受けられた。レビュアーが実際に観て感じたことならば、何を述べるのも自由だ。しかし、所詮はそういう時にしか興味を示さないがゆえ、そのレビューの一つ一つに、彼らの『ドラえもん』への理解度や思い入れがあったかというと疑問が残る。中には「原作に全く興味が無い」などと原作を全く読んでいないことを明かして『SBMドラ』を批評した映画評論家も存在した。原作をスルーして『SBMドラ』を批評するとはどういうつもりなのだろう。まさか原作は、映画ほど語るに値しないとでも考えているのか。そうして展開されたその評論家のレビューからは『ドラえもん』への愛情など感じられるわけがなく、どちらかといえば監督のセンスを厳しく問うかのような内容で、もはや『ドラえもん』をダシにして自らの嫌いな映画監督をバッシングしているかのようだった。そんな愛情の欠片もない批評を真に受けたのか、これに同調する自称ファン達がこぞって声を上げていたのが、こんな一言である。

「天国の藤子・F・不二雄先生が泣いている」

出た。お決まりのフレーズ。だいたい藤子F先生の意思など、先生自身にしかわかるはずがない。あくまで「自分」が気に入らないってだけの話で済ませればいいものを、自分が先生の一番の理解者かのように振る舞う言動こそ、最も故人を冒涜している。これでは某新興宗教がいつも守護霊だとか呼び寄せて語らせているのと何ら変わらない。結局、そういう自称ファン達は『ドラえもん』への愛情などほとんど持ち合わせておらず、日頃抱いている不満のはけ口として『ドラえもん』を利用しているかのような印象を受ける。*1

Twitterドラえもんファン・藤子ファンの方と繋がっていることもあり、自分のタイムラインには、彼らの並々ならぬ『ドラえもん』への熱意や愛情のこもったツイートが毎日流れてくる。自分が藤子ファンを名乗るのも恥ずかしいくらいに。今作に限らず毎年映画が公開されるたびに、彼らは愛情を込めて映画の感想や見どころを語り合っている。むろん褒めるばかりではなく、時には厳しい評価を下すこともある。それらはすべて本当に『ドラえもん』を思っているからこその評価。少なくとも、こんなときにしか話題にしないレビュアーと比べれば、たとえ自分が納得しかねるものだったとしても、批評としては真摯だと思うのだ。

映画の賛否を語るのは個人の自由だ。だが、そこから発せられる発言は、本当に自ら『ドラえもん』を思ってのことなのか真剣に向き合ってほしい。どうしても思うことがあるのなら、まずは自分が思う『ドラえもん』の魅力を、自分の言葉で語ることも考えてほしい。

*1:そういえば最近、静香ちゃんが野比姓を名乗っている広告に物言いがついたことありましたなあ。