ぬるオタな日々 by 少恒星

アラフォー独身のぬるオタの日々戯言。

『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン』(※ややネタバレあり)

正直、あの悲劇が起きた当初、少なくとも二、三年は新作は観られないだろうと思っていた。それでも何年かかろうが、その日が来るまでは待ち続けようと心に決めていた。それが(二度の公開延期を経たとはいえ)こんなにも早く新作が観られるとは予想外で、しかし嬉しかった。失った仲間の遺志を引き継ぎ、何が何でも形にしようという京アニのクリエイターたちの意志の強さがそうさせたのだと思う。

今回の劇場版はTVシリーズからの続編にして完結編となる完全新作。ヴァイオレットが想いを寄せる、かつての上官・ギルベルトの行方が明らかとなり、彼との再会を描くのが、物語の本筋となる。物語としては至ってベタで、結末も約束されたものではあるが、この劇場版には独自のアプローチが加えられている。それは、TVシリーズ10話に登場したアン・マグノリアの孫にあたるデイジーマグノリアの存在だ。アンの死後、デイジーは、アンの母親(デイジーからみれば曾祖母)が、娘に宛てた手紙をヴァイオレットに代筆させていたことを知り、興味を抱いたデイジーは、彼女のことを深く知るためにライデンを訪れる。デイジーの生きている時代は、ヴァイオレットが活動していた頃から、およそ六、七十年ぐらい経過していると推察され、通信手段も発達し、自動手記人形も過去の職業として廃れてしまっている。C.H郵便社も、今はミュージアムとして当時の功績を伝えているのみにとどめている。

そんな時の流れの儚さを感じる一方、デイジーがヴァイオレットの生きた証を辿ることにより、一見ベタにも思えるヴァイオレットの純粋な愛の物語が、より深く、より普遍的なものとして語られるようになり、その時代を精一杯生きた一人の女性の人生譚という側面も強調される。その愛の結末は、結果として一つの「歴史」を作ることに繋がり、一人一人が抱える愛情や想いは、決して小さいものではないことを教えてくれる。

こんなことを思いながらこの作品を観たのだが、これはそのまま京アニのクリエイター達が、いま本当に伝えたいことでもあるように思った。失った仲間たち、自分たちの想いは、そのまま消化せずに受け継ぎ、それを次の時代へと繋いでいこうという意志。観に行った上映回は、舞台挨拶のライブビューイング付きだったが、困難な状況の中、完成にこぎ着けた石立太一監督の感情こもったコメントに、つい涙してしまった。

natalie.mu